2023年2月19日日曜日

無門関 覚書 21則

 【21則】雲門屎厥




捨てられようにも捨てられず

拾われようにも拾うほどもない


ほっとけ 

ほっとけ

身のためさ


仏ほっとけ

それが良い 



p.s. 

つつけば煩うもととなるが、

ほっとけば自然に帰るよ。







仏は「放っておけ」の訛ったものかも知れないと思ったりする。





2023年2月14日火曜日

無門関 覚書 19則

 【19則】平常是道

天地自然に賊機あり。

これ阿弥陀仏の誓願なり。







さて、若かりし趙州和尚の質問を考えてみよう。

Q.道とはいかなるものでしょうか?

一指頭の禅で答えたい。目の前にある、と。


Q.努力して向かうべきでしょうか?

努力してどうこうという感じではない。只あるという感じ。


Q.何もしないで、何故それが道とわかるのか?

何もしないときに現れるものに道と名付けたから。




次に、南泉和尚の答えを検討してみよう。

1、平常心が道である。

平が常の心とは良く言ったもので、そんな感じ。

むしろ心は常に平と読んだほうが良いかも知れない。



2、努力すると逆にそれてしまう。

空気を見ると良い。

努力して云々という話ではないだろう。

そんな感じ。



3、道は知にも属せず、不知にも属せず云々・・・。

知ったと言うと、表現する言葉がない気がする。

だから言葉にすればいい加減なものとなる。

では知らないのかと言われれば、

まったく見当がついていないわけではない。


もしかしたら、

瞬間的に無心になっているだけかも知れない。



4、大空のようにカラリとして云々・・・。

自然がとても美しく感じられる気がする。

花は勿論として、枯れ木や雑草をみても心が安まる。

美しさは光の演出が大きいと思うが、

心が安まるのは透明な雰囲気かも知れない。

これを明珠在掌と言うのではなかろうか。


一指頭の禅 = 明珠在掌