2018年2月18日日曜日

人を殺してはいけない理由

思いつく限り、3つほど書いてみる。


1、自分が殺されたくないから

何故、人を殺してはいけないのかという質問をする人は、自分が殺される側になる可能性を無視している気がする。他人事で考えてはいけない。例えば、君が道を歩いていたとしよう。そこで、通りがかりの見知らぬ人が、ナイフを見せながら言うのである。「君を殺したいのだけど良いか?」と。君はその時にどう思うだろうか?恐らくは安心が脅かされるのでは無いだろうか?

多くの人は殺されたくないという気持ちを持っている。そこで、自分も殺さないから、君も殺さないでねという約束が社会的に自然発生的に作られるのである。それが今は法律として制定されているわけだ。人を殺してはいけない理由、それは大半の人は殺されたくない思っているからであり、大半の人が安心して暮らせるように、例外を許さないように社会が作られたからである。この意味で、人間が社会の一員として生きるための契約の一種と考えれば良いだろう。



2、体は神からの預かり物だから

神道の考え方になるが、人間の心は神からの預かり物であるという言い伝えがある。その預かり物を勝手に処分して良いわけがない。この意味で自殺もいけないし、他殺もいけない。人殺しは、人の心に住まわれている神をないがしろにする行為だと気づく事が、人を殺してはいけない理由の答えとなろう。人間は神の依り代なのである。(なお、西洋の神と、神道における神の概念は違う。)



3、人間は存在それ自体が尊く貴重なものだから

お釈迦様の言葉に天上天下唯我独尊があるが、仏教的には、人を殺していけない理由も天上天下唯我独尊だからである。この言葉の意味は、世界でただ我のみが尊いという事であり、一見すると誤解を受けやすい言葉であるが、言ったのはお釈迦様である。勿論、傲慢になったわけではない。お釈迦様が言わんとする事は、誰にとっても天上天下唯我独尊だという事となる。

例えば、貴方と言う存在は過去に一度も存在したことがないし、貴方が死ねば未来に存在する事は無いだろう。貴方はこの時代にのみ存在する奇跡とも言うべき貴重で尊い存在なのだ。これを天上天下唯我独尊と言う。奇跡的な確率で存在している貴方は、文字通り有難い存在である。その貴方をどうして殺す事ができようか?