2025年2月10日月曜日

無門関 総括 1~5年目

 

初めからあった。





【感想】

今朝、朝風呂に入っていたとき、とてつもない愛情に包まれている事を実感した。感動して涙がでてきたので堪えたり泣いたりしていたら、声こそだしてないものの調度赤子の第一声のような産声をあげてしまった。なぜ天上天下唯我独尊が赤子の産声に例えられるのか、なぜ我々は仏心の中から産まれ落ちたなどと言うのか、なぜ慈悲が自然に生じなければ本物ではないなどと言うのか、体感した気がする。魔境かも知れないが素敵な体験であった。趙州無字における無門和尚の言う驚天動地の境涯は、自分がものすごい愛に包まれていたという実感のように思う。

香厳智閑は悟りをひらいたとき、あまりの喜びに師である潙山霊祐のいる方向を向き礼拝したと言うが、自分もその気持ちだけは分かり、自然と礼拝したくなり、礼拝させてもらった。よく教えてもらわないからこそ味わえた感動と言うが、仏心に包まれている実感はそもそも教えられないような気がする。ただ体感あるのみである。


2025年2月8日土曜日

無門関 48則 覚書

 【乾峰一路】


全て受け入れれば良いのさ。





1、経験値:1年~3年の場合

無心に自分で気づけば価値観が変わる。しばらくすると、景色がとても美しく見えるようになる。その状態で乾峰和尚の言葉を読めばすんなりと頷ける。雲門和尚の言葉は当初まったく腑に落ちなかったが、2年くらいたったある日、無心の用と気づいた途端に力がぬけた。


二頭の駱駝 = 思考 + 無心



2、経験値:4年~5年の場合

乾峰一路  = 不識

一人向深深海底行、簸土揚塵 = 無心

一人於高高山頂立、白浪滔天 = 慈悲

二頭の駱駝 = 慈悲 + 無心



3、感想

無駄とわかりつつ、慈悲深く歩んでいく。これが乾峰の一路なのかもしれない。



4、頌について

真の決め手 = 慈悲


2025年2月7日金曜日

無門関 47則 覚書

 【兜率三関】


私はあなたの味方です。






1、経験値:1年~3年の場合

どの質問にも無心をどのように表現するかという発想をしていた。例えば、目の前とか。



2、経験値:4年~5年の場合

Q.どこに向かって去り行くおつもりか?

A.慈悲



3、感想

順番に学んでいるからか、百尺竿頭の則を慈悲に重きをおいて解釈したせいか、兜率三関ではもう一度無心を確認し初心にもどす計らいがあるように感じる。



4、頌について

無常を見、無我を確認するなら、生死の問題も自ずから解決する。

2025年2月6日木曜日

無門関 46則 覚書

 【竿頭進歩】


今までの全てに感謝を、これからの全てに愛情を。





1、経験値:1年~3年の場合

百尺竿頭進一歩などと言うが、イメージでは百尺の竿頭が消えてなくなるという感じだった。全て同じ感覚なのに、百尺の竿頭と言われてもあろうはずがない。ゆえに、普通に暮らせば良いと考えていた。この頃は、慈悲がなければ本物ではないと聞いていたが、慈悲の実感まではなかった。



2、経験値:4年~5年の場合

過程に遊ぶ。



3、感想

最近、過去を思い出して感謝する行をしている。すると、いい思い出は優しさの源泉となり、嫌だったはずの思い出も有難くなる。こんな事をしていると、世の中に嫌な奴が一人もいなくなってしまった。



4、頌について

説教するな。無心でやれば良い。




2025年2月1日土曜日

無門関 45則 覚書

 【他是阿誰】





1、経験値:1年~3年の場合

我々は無心の奴隷と言えなくもない。



2、経験値:4年~5年の場合

後輩 「先輩、他是阿誰の彼って何でしょうかね。」

先輩 「ここにおるだろうが!!」

先輩、後輩の腕を思いきりつねる。

後輩 「痛てててっ。」

先輩、けらけら笑う。



3、感想

親父 = 慈悲



4、頌について

生き方は自分で作り上げていくもの。




2025年1月30日木曜日

無門関 44則 覚書

 【芭蕉拄杖】


与言おうが 奪と言おうが ご勝手に






捨てなされ ああ捨てなされ 捨てなされ






1、経験値:1年~3年の場合

持っているという意識を捨てなされ。持っていないという意識を捨てなされ。与えると表現しようが、奪うと表現しようが、無心に誘う方便である。



2、経験値:4年~5年の場合

そのまんまで良いんだよ。この言葉は遺言にしても良いと思っている。



3、感想

無常、慈悲、無心と色々な切り口で解説を試みたが、結局そのまんまで良いの一言におさまった。どうも自分にできる事と言えば、祈ることくらいらしい。これからは祈ることを日課にしよう。



4、頌について

拄杖子 = 慈悲 × 無心 × 祈り

2025年1月26日日曜日

無門関 43則 覚書

 【首山竹箆】





1、経験値:1年~3年の場合

竹箆と呼んではいけない、呼ばなくてもいけないと言われると体にどういう反応がおきるだろうか。おそらく思考が停止するのではなかろうか。その思考が停止した感覚が示された教えの一端である。教えと言うと知識偏重になりやすいが、実は何も考えが浮かばない状態も立派な教えである。そこで強制的に思考を吹き飛ばす直接手を放つ。修行者はそのまま身を任せれば良いのである。

また、何かを真剣にやってるとき竹箆を意識することはないが、全く意識しないわけでもない。その感覚と解釈しても良いかも知れない。何事も手を抜かなければ、そこに無心のハタラキが現れる。それを感じれるかどうかが勝負所である。



2、経験値:4年~5年の場合

倦まず弛まず淡々と。



3、感想

怒りはいつ怒りになるのか。怒りと名をつけたときである。だから、名を与えるな。分からないままにしておけ。名に背くことを覚えよう。



4、頌について

背触交馳 = 私があなたのために。